忍者左官小沼充

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小沼充プロフィール

小沼スイッチは、人生で何回入るのか?

1960年12月20日、東京・調布に生まれる。2歳から中学校までを福島県相馬郡飯舘村で過ごす。卒業後、東京で父の経営する豊工業に入社、左官修行を始める。しかし、6年ほどは身が入らず、ただ仕事をこなすのみだった。ある日、「あいつは一人前になれねぇな」という仕事仲間のタイル屋さんの言葉に生来の負けん気が目を覚まし、人生で最初のスイッチが入る。それからは、父の一番弟子である叔父を手本にひたすらまじめに「塗る」日々。年間の休みは10日に満たず、朝から晩まで塗った。とりあえず1年半で一人前に塗れるようになり、仕事のおもしろさを知る。27歳から用賀の親方のところで1年半修行後、29歳で独立、屋号を小沼工業とした。
しかし、この頃はまた材料はプレミックス(既調合材)を使っており、自分で土を調合して使うことはしていなかった。運命的な出会いは36歳のとき。藤沢のワークショップで珪藻土を塗っていると、突然現れた左官名人榎本新吉さん(当時70歳)に、「そんな塗り方じゃ、土は塗れねぇ!」と喝破される。人生2度目のスイッチ、が「カチッ」と入った。それから時間をつくってせっせと榎本さんのもとへ通う。予算がない仕事には喜んでついていき、ここぞとばかりに榎本さんの教えを請うた。ここで土の奥深さを知り、左官の自在な世界がひろがっていくことになる。2年後にはカリスマ左官の久住章さんに出会い、榎本さんのところにいると言ったら「葛飾で老人ホームやるから手伝いに来ないか」と誘ってもらった。その後も淡路の図書館、東京・柿ノ木坂の集合住宅などの仕事に呼んでもらい、2000年9月にはニューヨークのSOHOで45RPMのショップをつくる仕事にも同行。造形的にも新しい発想を持ち、左官の側からいろんな提案力を持つ久住さんから、多くのことを学ぶ機会となった。
40歳の時、榎本さんに東京・愛宕の名刹青松寺のプロジェクトを知らされる。高層ビルの34階の壁、また翌年には羅漢像の背後の壁、講堂の大壁、土間を「磨き」の手法で仕上げる現場を、榎本さんの監修のもと仕上げるという大仕事だ。注目を集める大プロジェクトだが、失敗する可能性も大きい。逡巡していると「おまえには無理か?」と榎本さんがぽつり。もちろんここで小沼スイッチが入らないわけがなかった。プロジェクト進行中は、24時間壁のことばかり考え、寝るも食べるも無意識という状態。榎本さんの教えに自分なりの工夫を加え、無事成功させたことは大きな自信になった。その後もいろんな現場に参加し、必ずどこかに新しい挑戦を盛り込みながら、小沼左官の世界は広がっている。困難な仕事もオリジナリティのある解法でこなし、去ったあとの現場は美しいことから、人は「忍者左官」とも呼ぶ。
射手座、A型。2男1女の父。豆腐だけは食べられない。

代表作
萬年山青松寺(東京・港区)
万歴龍呼堂(和食 東京・港区)
うち山(和食 東京・中央区)
雛の座(ホテル 北海道)
北天の星(ホテル 北海道)
大和屋(和食 神奈川・横浜)

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榎本新吉の薫陶を受け、日本の誇る左官技術を継承・革新する。人呼んで東京の忍者左官・小沼充のオフィシャルブログ。

 

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